熊本は日本赤十字社誕生の地です。

西南戦争は明治期最大で最後の内戦で、この戦いの中から日本赤十字社の前身である博愛社が誕生しました。九州全域を巻き込み両軍合わせて1万4千人の尊い命が奪われ、その内約8割が熊本の地だったことから、昔から、熊本は日本赤十字社誕生の地と言われています。

田原坂及びその周辺地域は「日赤発祥の地」

                       正念寺所蔵錦絵(玉東町木葉)

また、田原坂の激しい戦いが博愛社を誕生させたことから、田原坂及びその周辺地域は「日赤発祥の地」と言われています。

1877(明治10)年4月6日に明治政府に提出された博愛社創立請願書、その後日本赤十字社が編纂した『日本赤十字社発達史』並びに『日本赤十字社社史稿』には、田原坂及びその周辺地域の悲惨な状況が記載され、博愛社創業のことが説明されています。

熊本洋学校教師ジェーンズ邸も「日赤発祥の地(建物)」

               熊本地震前の記念館(撮影:tetsuo.kajiyama)

博愛社創業の許可の命令が下された記念すべき建物である熊本洋学校教師ジェーンズ邸も、日赤発祥の地(建物)として伝えられています。

西南戦争は熊本鎮台によるの籠城戦で始まりましたが、熊本城の火災や薩軍の激しい攻撃のなか、熊本城内で奇跡的に難を逃れた熊本洋学校教師ジェーンズ邸が、1877(明治10)年4月17日から征討総督本営となり、征討総督有栖川宮熾仁親王殿下が宿営されていました。

同年5月1日、ここに元老院議官佐野常民が訪れ、熾仁親王殿下から明治政府の不許可にかかわらず博愛社創立許可の命令が下され、この建物を中心として殿下のもとで博愛社が創業されていきました。

ゆえに、田原坂及びその周辺地域と同様に、熊本洋学校教師ジェーンズ邸も日赤発祥の地(建物)と言われています。

『博愛社設立許可の図』

撮影日:2023.09.15
撮影場所:熊本洋学校教師ジェーンズ邸2階
(熊本市中央区水前寺公園12-10)
撮影者:tetsuo.kajiyama

この絵は『博愛社設立許可の図』です。1931(昭和6)年に、日本赤十字社本社が当時の記録をもとに、熊本に調査依頼をして制作した歴史画です。この絵画が発端となって、老朽化で処分されそうだった旧熊本洋学校教師ジェーンズ邸が日本赤十字社記念館として熊本県から譲り受けられ、熊本市南千反畑町から日赤熊本支部の敷地内(水道町)に移設再建されました。その後にこの絵は日本赤十字社誕生の絵として有名になりました。

この絵が描きたかったのは、日本赤十字社社史稿の次の記録です。

「各地ノ賊軍ヲ追撃セントスル五月一日ナリ佐野議官ハ即時願書ヲ懐(ふところ)ニシテ本営ニ抵リ参軍山縣有朋及高級参謀小澤武雄ニ就(つけ)テ結社ノ目的ヲ陳シ其可否ヲ質ス 参軍等深ク之ヲ賛ス 則チ齎(もたら)ス所ノ願書ヲ有栖川總督宮殿下ニ上リ博愛社創立ノ許可ヲ請ヒシニ 殿下大ニ嘉納シ給ヒ即日允許ノ台命ヲ下サレタリ」

つまり、この絵の題名を正しくは言うなら、5月1日の『博愛社創立許可命令の図』ということになります。

日本赤十字社創立二十五年紀祝典が行われたとき、「創立紀念日ノ設定」がなされ、「五月一日ハ永久ニ紀念トシテ祝スヘキノ日ナリトス」と定められました。ゆえに5月1日は、初代社長の佐野常民本人が認めた創立記念日ということになります。

この絵は現在、日本赤十字社の本社が所蔵していますが、そのレプリカが熊本地震後に奇跡的に再建された熊本洋学校教師ジェーンズ邸の2階に展示してあります。当時の部屋もそのままに再現してありますので、その時の感動を是非一度は体感していただければと思います。

このブログでは、日本赤十字社の前身である博愛社の創業について、徹底的に解説していきまので、末永いご愛読をよろしくお願いいたします。

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