質問(001)
当時の日本人は敵味方なく救護することが全く理解できなかったのですか?
(001の答え)
全くそういうことはありません。しっかりと理解していました。
古来から、楠正行(くすのきまさつら)の美談としても言い伝えられていました。
博愛社の設立については、陸軍中将の西郷従道(さいごうじゅうどう)も「善美なことであるが……」と述べています。
質問(002)
1877(明治10)年4月6日付けの博愛社創立請願書に添付された、博愛社々則第4条の「敵兵も救う」が原因で、当初明治政府は不許可にしたのですか?
(002の答え)
そうではありません。
陸軍卿山県有朋の代理である西郷従道が、現地が混乱するなどの理由を述べた反対の意見書が原因で不許可になりました。西郷従道は赤十字のことをよく知っており、西南の役(西南戦争)は内戦のことであり、ジュネーブ条約にも加盟していないのに、時期尚早と考えたのかもしれません。
もしこのとき許可されていれば、征討総督有栖川宮熾仁親王殿下はまだ、兵站基地である高瀬(玉名市)に宿営されており、博愛社は殿下のもとで軍医たちとともに、木葉や高瀬で田原坂周辺から搬送されてきた大量の重症の兵士を、もっと救うことができたはずです。このとき佐野常民は外国の優秀な外科医を同行させるつもりでいました。
質問(003)
先を急いだ佐野常民は、征討総督有栖川宮熾仁親王殿下に熊本で直訴したのですか?
(003の答え)
直訴ではありません。
直訴ではなく直接現地で申請(直裁)をしました。しかも参軍山県有朋と高級参謀小澤武雄に可否を質問して快諾を得て、熾仁親王に申請しました。
博愛社の創業について、東京から派遣された松平乗承が、佐野常民から長崎で直接聞いた内容の報告書には、次のように書かれています。
「本年四月上旬官命を帯て東京を発し、五月上旬熊本に着致し、公務の暇征討総督本営に至り、齋す処の建白書を以て結社を申請し准許を得たり。よって速に救済事務を実施せん事を謀り、」とあります。
これは、佐野常民は東京で、博愛社創業のための50日の休暇願を右大臣岩倉具視に提出して、公務の休暇の出張命令で横浜を出発し、その途中、京都で太政官三條実美に、博愛社創業について詳しい説明をしたうえで熊本に来たことを言っており、しかも熊本城内では、参軍の山県有朋と高級参謀の小澤武雄の賛成を得たうえで、熾仁親王殿下に申請し許しを得ました。
つまり、直訴ではなくて、明治政府や陸軍の了解の上で、現地で直接決裁をいただいたということになります。
つづけて「先資本を正四位鍋島直大の家令に議して金三百円を借受、自ら金百円を出して、小川良益以下の医員看病夫等四名(別冊佐野氏より示す所の書類に詳なり)を雇に之を熊本軍団病院に差遣し、又、医員深町亨を長崎軍団病院に差遣して、共に救済に従事せしむ。」と報告しています。
すでに、大きな戦いは終わっていましたが、1877(明治10)年5月27日、熊本城内の熊本軍団病院から活動を開始しました。熊本城内の鎮台病院が軍団病院を兼ねていましたので、ここが最初の派遣先となります。今の国立病院があるところになります。長崎には高瀬や八代から大量の傷病兵が航送されていましたが、搬送に堪えない重症者は現地に残されたままでした。
質問(004)
佐野常民はなぜ日本赤十字社の前身となる「博愛社」を創立したのですか?
(004の答え)
佐野常民は、ナイチンゲールとアンリー・デュナンの道徳的行動に感動して感化されて、「博愛社」を創立しました。
ここに、佐野常民がパリ万博とウィーン万博に参加したとき、赤十字の広がりに目を見張ったときの感想を述べた言葉があります。
『文明と言い、開化と言えば、人はみな直ちに法律の完備または器械の精巧等をもって、これを文明の証と言いえども、余は一人赤十字社の、このように盛大になることをもって、文明の証としたい。真の文明は道徳的行動を伴わなければならない。この道徳的行動の進歩を促すのは、志士仁人の任なりと深く感動するところがあり、ついに、西南の戦役に際し、自ら進んで道徳的行動の先をためし、ここに日本赤十字社の種は播(ま)かれたるなり。(日本赤十字社社史稿第一巻235ページ)』
この文章の後半に、佐野常民が博愛社を創立した理由が述べられています。
「真の文明は道徳的行動を伴わなければならない。」
「この道徳的行動の進歩を促すのは、」
「ついに、西南の戦役に際し、自ら進んで道徳的行動の先をためし、」
「ここに日本赤十字社の種は播(ま)かれたるなり。」と言っています。
この「志士仁人の任なりと深く感動するところがあり、」とありますが、「志士仁人」とはいったい誰のことでしょうか?
私もいろいろと考えましたが、その答えは、ナイチンゲールとアンリー・デュナン以外には考えられません。
つまり、佐野常民は、ナイチンゲールとアンリー・デュナンの道徳的行動に感動して、自分も含めてその任務を果たさなければならないという思いから、率先して日本赤十字社の前身である「博愛社」を創立したと言うことができます。(文責:梶山哲男)